瞑想と坐禅の本質的な違い

・瞑想的な考え方

 

瞑想と坐禅の本質的な違いは

 

瞑想は手段であり

 

坐禅はそれ自体が目的である

 

ということです。

 

瞑想は、人間の基本能力を底上げします。

 

ストレス減らす

免疫を高める

頭を良くする

病気を治す

悟りを開く

人間的に成長をする

恐怖心を乗り越える

 

などなど

数え上げたらきりがないほど

瞑想の効用はあります。

 

それはつまり、

ある効果を求めるために

瞑想を手段として使う

ということです。

 

坐禅は全く違います。

坐禅は

なんにもならなくていいのです。

なんの効果があろうとなかろうと

関係ありません。

 

坐禅は存在そのものであり

在り方です。

 

そのことを本当に

理解できるようになると

なにも足を組んで座っていること

ばかりが坐禅ではないことに気づきます。

 

そうなると、

今度は坐禅から離れようとしたって

離れることができないことに気づきます。

 

そうなると本当の自分に気づきます。

ああ、私は座っているときには座っている

立っているときには立っているなと。

 

坐禅というのはどこまでも

そんな当たり前のことです。

 

その当たり前のことを誰も体感していない

お釈迦様が特にそのことを悟り

多くの人に教えようとしたのです。

 

坐禅には奇跡はありません。

 

ただ、あなたしかあなたの人生の

主人公はいないということを

体感させてくれます。

 

坐禅には当たり前のことしか

ありません。

誰だってその当たり前のことを

知っています。

 

だけど、その当たり前をだれも

体感していません。

 

それは、頭に眼鏡を乗せたまま

メガネはどこかと探すのと同じです。

 

瞑想という手段が

坐禅という目的に変わったとき

 

あなたの瞑想は格段に

磨かれているはずです。

 

 

 

 

コメント

  1. […] ※坐禅と瞑想の本質的な違い […]

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