功利主義と瞑想⁉最大多数の最大幸福

・生き方

最大多数の最大幸福

という言葉を聞いたことがありますか?

哲学者ベンサムの考え方を代表する言葉です。

今回は、瞑想と功利主義のお話。

とても簡単です(*’ω’*)

 

 

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功利主義とは⁉最大多数の最大幸福

 

冒頭からわけのわからない単語が並んでいるかといって、

読むのをやめないでくださいね(*’ω’*)内容は簡単です。

 

功利主義というのは、哲学の言葉なのですが、

簡単に言えば、

「社会全体で幸せ度が高ければいい」

という主義のことです。

具体的に説明していきます。

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一人が2杯飲むより二人が1杯ずつ飲む方が幸せ度が高い

 

例えば、2杯のビールがあったとします。

これをAさんが一人で飲むとします。

Aさんが1杯目のビールを飲むとき、

その幸せ度は100点です。

だけど、2杯目に飲むときは、

1杯目よりは幸せ度は落ちます。

2杯目の幸せ度は80点です。

合計180点ですね。

 

では、AさんBさんで1杯ずつ飲んだらどうでしょうか。

最初の1杯目は幸せ度100点なので、

二人で200点の幸せ度になります。

 

お酒を飲まない方もいると思うので別なたとえをします。

特上のお寿司が二人前あったとします。

これをAさんが一人で食べるとします。

Aさんが一人前目の特上寿司を食べたとき、

幸せ度は100点だとします。

しかし、Aさんが二人前目の特上寿司を食べるとき、

その幸せ度は下がります。

もしかしたらAさんは小食で、

二人前食べるのは苦痛に感じるかもしれません。

その時、二人前目の特上寿司は

幸せ度マイナスかもしれません。

いずれにしても、

Aさんが二人前分の特上寿司を食べた時の幸せ度は

180点以下です。

対して、二人前の特上寿司をAさんとBさん二人で食べたとします。

そのとき、幸せ度は200点ですね。

 

ここでは2人だけを例にしましたが、

世界中の全ての人の上でも、

同じ理論が成り立つと考えられます。

 

ベンサムという哲学者は、

その幸せ度が社会全体で最大になるようにすべきだと主張した人なんです。

 

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瞑想(上級)をするなら、最大多数の最大幸福を求める

 

この考え方には、批判もたくさんあります。

ただ、哲学的な議論がしたいわけではないので、

その辺はさておいておきますが、

参考になる部分がとてもあります。

 

まず、以前の記事でお伝えしましたが、

瞑想は自分と他人との境界線をなくしていくことでもあります。

愛は行為ではなく在り方
愛という言葉は ありきたりだし、 スピリチュアルっぽいし、 答えの出ないものであるという印象がありますが、 それは違います。 愛には明確な定義があります。 愛の定義とは 愛の定義 「愛とは自分と他人との境界線のない状態」...

 

そうすると、その世界観の中で、

なにを優先すべきかが問題になっていきます。

全てを優先するわけにはいきません。

なにかを特別扱いすれば、

それはエゴです。

そうなると、合理的な判断基準が必要になるわけです。

 

その判断基準の一つが、

幸福度の最大化です。

 

例えばさいたま瞑想ラボもその実践です。

僕が毎月初めて娯楽に使う1000円の幸せ度が100点だったとします。

その次に娯楽に使う1000円は、幸せ度が80点だったとします。

そうであるならば、その1000円を使って、

誰か瞑想をやってみたい人の役に立てるのなら、

その1000円は誰かの幸せ度の100点をを生み出します。

 

しかも、もっと言えば、

本来、数万、数十万円を払わないと習えない

瞑想やマインドフルネス、イメージトレーニングが

1000円でできるということは、

数万円、数十万円が節約できたということにもなります。

 

もちろん、節約できたのは僕ではなく、

瞑想会に来る人ですが、

僕は瞑想を通して、

自分と他人との境界線を広げているため、

自分のその世界の中に納まる人たち、

トータルの幸せ度を重要視しているんです。

 

例えば、話を単純化すると、

ここに1万円あったとします。

このとき、その一万円を自分の娯楽に費やせば、

その幸せ度は100点です。

しかし、1000円分を10人にわけてあげれば、

幸せ度は1000点になります。

 

もちろん、ぼくのこの世界観は瞑想会だけではなく、

家族や友人、その他の社会に対しても向けていますので、

瞑想会に100%費やせるわけではありません。

 

ただ、基本的にはそういう価値観、

世界観で生きているということです。

 

例えば、先日もここで出会った、

中学生の友達に、

記憶術を教えたわけですが、

彼を駅まで送迎し、

お昼はご馳走してあげて、

瞑想会への参加と、

記憶術を教えて、

会場費とお昼代などで

結局3000円くらいの出費です(;・∀・)

 

そう聞くと、お金に相当余裕があると思うかもしれませんが、

多分、このサイトを見ている人の中で一番の貧乏人ですよ、

ぼくは(;・∀・) 

 

ただ、お金がないからこそ、

人に与えられる人かどうか試されるんです。

それが瞑想者の生き方です。

 

それに、話はもどりますが、

その3000円は僕が娯楽に使えば、

幸せ度は100点です。

しかし、彼が記憶術を覚え、

頭が良くなり、成長し、

多くの人の役に立つことができたら、

その3000円はもっと何倍もの価値を持つことになります。

 

瞑想をするということは、

そういう物理的、時間的な境界線を超えて、

合理的な考え方をするということです。

そしてもちろん、それを実践する人間でなければなりません。

 

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瞑想は生活の中にあってこそ生きるもの

 

僕が良く、本質的なものを大事にしてくださいというのはそういう考え方があってのことです。

 

世の中に瞑想を教える人は沢山います。

だけど、瞑想者として生きている人はとても少ないんです。

 

瞑想者とは、仙人みたいな人ではありません。

日常の生活の中に、一本の筋を通して生きる人のことです。

 

足を組んで何時間でも座れるような人を瞑想者というのではありません。

本質と合理性を理解して、

自分の生活の中で筋の通った人生を送れる人のことを言います。

 

 

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