瞑想会振り返り:幸せや愛の定義!瞑想の成果!

・瞑想会の振り返り

今日は統一地方選挙が行われており、

お花見と合わせてお出かけの方も多かったのではないでしょうか。

 

僕のところの投票所には桜の木があり、

満開の桜が少しずつ、風に吹かれ花を散らし始めていました。

 

さて、そんななか、

今日もさいたま瞑想ラボの瞑想会を行いました^^

今日の瞑想会の振り返りです

 

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今日の瞑想会は瞑想の振り返り

今日は、いつもよく来ていただく方だけでしたので、

お話を中心に行いました。

というか、今日は瞑想をせず、話だけで終わりました。

 

瞑想に関するそれぞれの方の実感などが聞けたり、

議論を交わしたり、僕にとってはとても有意義な時間となりました。

 

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目的を達成するためには、その目的を明確にすること

瞑想をする人は、何かしらの目的意識を持っている人が多いと思います。

それが、頭が良くなりたい、ストレスを減らしたい、そういった具体的なことなら良いのですが、

成功したい、幸せになりたい、といったように、抽象的な目的になると、

瞑想の前にまずやらなければならないことがあります。

 

それは、その人にとっての「成功」や「幸せ」というものを明確に定義することです。

 

例えば、「アンチョビ」という食材をスーパーで買ってきてと頼まれたとします。

もし、「アンチョビ」が何かをわからなければ、スーパーのどこの棚に行って探せばいいかわかりませんし、棚が分かっても、どんなものだかわからなければ手に取ることはできません。

 

目的が抽象的であればあるほど、

それがどんなものか、

自分の中でしっかりと定義しなければなりません。

 

人生においては、確かに、

定義が難しい事柄もたくさんあります。

 

しかし、とにかくまず、自分にとっての定義を一つ作り、

そこから検証、修正していけばいいのです。

 

 

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幸せの定義

 

今日は「幸せ」と「愛」という、瞑想に欠かせないものの定義を話し合いました。

今日僕のほうから提案した「幸せ」の定義は、

「幸せとは、未来に期待できる状況下における、現在の心の平穏な状態」

というものです。

 

将来的にいくら希望があっても、現在、恋人にフラれたなどで悲しい気持ちになっていたら「幸せ」とは思えませんし、逆に今、心が平穏な状態であっても、将来絶望が待っているとしたら、やっぱり幸せだとは思えません。

多分、こう考える人もいると思います。

 

今、恋人ができて幸せな気分を味わっている、将来なんて関係ない。

今、ディズニーランドに来たばかりで、自分は最高に幸せだ。

 

ただ、こういうのは、「楽しい」という感情の状態で、

「楽しい」は「幸せ」の中に含むのですが、

幸せ>楽しい

という構図が成り立つのではないかと思います。

また、「楽しい」は感情の状態ですが、

「幸せ」というのは人生の状態であるといえます。

 

多くの人が過去を振り返って、

「あの時は幸せだったな」というとき、

それはなにか特別なことがあるわけではなく、

そのときの「状態」のことを指していますね。

 

よく、幸せを感じるのにはタイムラグがあるといいますが、

それはそもそも、幸せというものが何か、

わからず探し回っているからです。

 

では、死を間近にした絶望の淵に立っている人は、

幸せを感じることはできないのかと思う方もいるかもしれません。

 

そこに「信仰」というものが生まれるんですね。

 

絶望の淵に立った人に残された最後の唯一の希望は、

来世や神に対する希望です。

 

現在の日本社会が無信仰なのは、

死という絶望を科学が補ってくれているからです。

 

日本中から電気が止まれば、

日本人の信仰心は劇的に強くなりますよ。

 

みなさんにとってのゆるぎない「幸せ」とはなんでしょうか。

答えが出たら是非教えてください。

 

 

※ちなみに、死んでいく人の中には信仰心も持たず、幸せに死んでいく人もいると思います。それは、次の項でお話しする「愛」ともかかわってきますが、子供や家族という他者に対する期待も、「自分の期待」に勘定することができるからです。

 

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愛の定義

次のテーマは「愛」です。

 

今日は、「愛」の定義を以下のようにしました。

「愛とは、自分と他人の境界線がない状態のこと」

 

僕たちは、「一番愛している人はだれか」と問われると、

必ず「自分自身である」というと思います。

これはお釈迦様も言っていることです。

 

僕たちは本来、自分自身を一番に愛しています。

では、毎日自分自身や自分の身体に向かって、

「今日も愛おしいな」

「今日も心臓の音が最高だぜ」

とかいいますか? 

言わないですよね?

 

だいたい

「今日も足の調子がいいな」

「今日は気分がいいな」

と毎日思う人は、足を怪我しているなど、

病んでいる人です。

 

本当に自然な状態であれば、

自分自身を愛しているとはいちいち自覚しないはずです。

 

ということは、「愛」とはそういう「状態」であると考えることができます。

 

もし、自分と同じように他者を見ることができれば、

それは「愛」だと思いませんか?

 

実際、誰でもがすくなからず「愛」を持っています。

例えば、自分の家族、友達、恋人といったように、

とても身近な人が病気になったりすると、

自分自身も心が苦しくなりますね。

自分と同じように早く治ってほしいと願い、

自分と同じように快復を喜ぶはずです。

 

そういう状態を「自分と他人との境界線がない状態」といいます。

じゃあ、例えば、お隣さんはどうでしょうか。

自分の家が幸せでも、お隣から虐待されている子の泣き声が聞こえてきたら、

やっぱり自分も心が苦しくなると思います。

 

他にも会社はどうでしょうか。

いつも良くしてくれる先輩、

交通事故にあって意識不明になったら、

やはり自分のことのように心が痛むのではないでしょうか。

 

物理的な痛みは共有できません。

だけど、心の状態を共有することはできます。

 

では逆に、カンボジアで貧困に苦しんでいる子供たちはどうでしょうか。

一般的に、あまり具体的にイメージが浮かばず、

家族や友達、恋人に比べてその苦しみに共感できるという人は一気に減るのではないでしょうか。

 

それを「自分と他人の境界線が濃い状態」といえます。

そして、「愛」という言葉に象徴される偉人、

例えば、釈迦やキリストやガンジー、マザーテレサなどは、

自分と他人との境界線がどこまでも薄い、

あるいはないということができます。

 

ただ、「愛」と「愛情」というものは違います。

「情」というのは「執着」です。

執着というのは悪です。

 

情から執着が生まれます。

執着は欲の源泉です。

 

私たちが誰かを「愛している」というとき、

それは「愛」の表明ではなく、

「執着」の表明です。

 

「愛している」という言葉を使うのがおかしいといっているわけではありません。

ただ、「愛している」と僕たちが言うとき、または思うとき、

それは自分自身の執着心の表れだと理解しなければならないということです。

愛が時に、ストーカー殺人という行為に至るのは、

「愛」と「執着」が混同している例です。

本当の愛を知っていれば、

相手の幸せを奪うことなんて考えつかないはずです。

 

 

また、こんな意見があるかもしれません。

「子供に、『愛してる』と声をかけて育てると愛情豊かな子に育つ」と。

僕もそう思います。愛を伝えて育てた方が子供はいい子に育つと思います。

ただそれは、親が子に「愛している」と声をかけることで、

「私はあなたに何かあるととても心配なの。あなたに何かあったら私は悲しくなるわ」ということを伝えているにすぎず、それを受けて、子供が親を悲しませることのない優しい子に育つからだと考えられます。

親の愛は偉大だとは思いますが、中には、自分の都合の良いように子供に言い聞かせているだけで、愛の大義名分のもとに、子供から可能性を奪い続けている親もいます。

 

あなたはどう思いますか?

 

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瞑想を続けての効果

ここからは、今日いただいた瞑想の感想の話です。

まず、共通していたのに、

 

瞑想をすることによって、

頭のなかがクリアになった、

考えがまとまるようになった、

頭の中のモヤモヤがなくなった

 

というものがありました。

また、

頭が良くなった感じがする

というお声もいただきました。

 

これは本当にうれしいことです。

瞑想は簡単に言えば「脳トレ」だということをお伝えしてきましたが、

実際に自分で「頭が良くなってきた」と実感できるってすごいことだと思いませんか?

 

もちろん、もともと頭の良い方だからこそ、そういった感覚に鋭いのだと思いますけど、

「頭の回転」が良くなるという感覚をこの短期間で実際に体感していただいているというのは、ものすごいことだと思います。瞑想の効果は偉大です。

 

また、寝つきが良くなった、漠然とした不安が解消した

というお声もいただきました。

 

これも、頭が良くなることの副産物ですね。

 

 

さらに、イメージトレーニングに関しては、

 

「今まで白黒だった想像の中の映像がカラーになった」

「静止画を脳のなかで再生できるようになった」

「想像と感情が結びつき、想像でその時の雰囲気や感情を呼び起こせるようになった」

というお声をいただきました。

 

これもものすごいことです。

あと少し訓練すれば、イメージによって感情や自律神経のコントロールができるところまで来ています。

今回このお話聞いて思ったのですが、

想像力は、その能力のフタをあけるスイッチを的確に押してあげれば、

センスの良い人なら簡単にその能力を発揮することができるのではないでしょうか。

今回のお話を聞いて、ますますイメージトレーニングを体系化して

結果の出せる講座を作っていきたいと思います。

 

 

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まとめ

大人になって、「幸せとはなにか」「愛とはなにか」

そんなことを話す機会ってほとんどないと思います。

 

本当は、大人がそういったことをちゃんと考えなきゃいけないのに、

多くの人は考えることを放棄しています。

 

だけど、瞑想をやってみようと思う人、

多分、この記事をここまで読んでくださっている人というのは、

相当まれ、というか、物事を普段からよく考えられている方ではないでしょうか。

そういう方はむしろ、世間では生きづらいのではないかと思います。

 

というのも、世間はそれほどまでに物事を深く考えないからです。

もちろん、僕が言っているのが人を馬鹿にしてのことでないことは理解していただけると思います。

いい悪いではなくただ、そういう風潮がないというだけのことです。

 

社会にはもっと、

「人生について考える場所」というのがあってもいいと思います。

そういうのを宗教やスピリチュアルに任せっきりにするのではなく、

もっとオープンに、教養やマナー、学問としてとらえ、

向き合っていける場所を作っていきたいなと思っています。

 

来週はしっかり瞑想も行っていきたいと思います。

みなさん是非遊びに来てくださいね^^

 

 

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