瞑想と坐禅とマインドフルネスの違いは?初心者にもわかりやすく解説

【瞑想】

今回は瞑想と坐禅とマインドフルネスの違いのお話です。

 

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瞑想とは

瞑想と坐禅とマインドフルネスの違いを説明するためには、それぞれの定義をしっかりと知っておく必要があります。

まずは瞑想ですが、これはさいたま瞑想ラボでは「瞑想とは、ある目的のために行う脳内訓練」であると定義しています。

※詳しくはこちら

瞑想とは!瞑想ってなに?
埼玉県さいたま市の瞑想は『さいたま瞑想ラボ』へ♪ ーーー 今回の記事は、「そもそも瞑想ってなに?」という疑問にお答えします。 瞑想とは!?瞑想ってなに? 「瞑想とは」とgoogleで検索すると、 一番上に 瞑想とは《...

 

少し抽象的になりますが、ここでは、頭の中で行うこと全般が瞑想になり得るのだと覚えておいてください。

 

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瞑想の代表的なものはなにかに「集中」すること

瞑想の代表的なものは、なにかに集中するということです。例えば、呼吸を数える、マントラという呪文のような言葉をひたすら唱え続ける、ローソクや絵などを見続ける、など、なにか対象を決めてそれに意識を集中し続けることが瞑想の基本的な技法になります。

この「集中する対象」というのはなんだって構いません。

だから、トラックのドライバーであれば、運転し続けることが瞑想になるし、主婦であれば、料理を作ることが瞑想になります。

そういうと「そんなことが瞑想なのか」と思うかもしれませんが、集中して行うことと、無意識的に行うことでは雲泥の差があります。

例えば、主婦を10年行っても一流の料理人にはなれませんし、20年車を運転していてもレーサーにはなれません。毎日仕事で字を書いていたって書道家にはなれませんし、毎日ブログを更新していていても作家にはなれません。毎日何時間も話していても話のプロにはなれません。

多分多くの方が、無意識的に行う作業は、一定のレベルまで達するとそれ以上知識や実力が伸びないことを体感的に知っていると思います。では、なぜ伸びないのかというと「無意識」で行っているからです。

 

集中して意識的に行うことと無意識的に行うことではそれだけ大きな違いがあります。

そして、その「集中して意識的に行うこと」であればなんだって瞑想になり得ます。

 

だから、トップアスリートや一流の職人さんなんかは、瞑想的な考え方、瞑想的な生き方、瞑想的な立ち居振る舞いができているのです。彼らは瞑想という言葉こそ用いませんが、瞑想の実践者です。

 

まとめますと、瞑想というのはある目的を持って意識的に行うもののことすべてを指します。

これが一番広い意味での「瞑想」の定義です。

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マインドフルネスとは

さて、そんな広い意味を持つ「瞑想」ですが、だからこそ、その目的も様々にあります。

リラックスしたい

頭が良くなりたい

直観力を高めたい

弱い心を鍛えたい

人前で話す時にあがらないようになりたい

などなど、あらゆる瞑想の目的があります。

 

瞑想にはその目的に合わせて数百数千の技法があります。

自分が瞑想にどんな効果を期待するかによって、

行うべき技法が変わってきます。

 

そして、その目的を「ストレス解消」にしたときに、

良い方法の一つとされるのが「マインドフルネス」という技法です。

 

つまり、マインドフルネスというのは、

ストレス解消という目的を持つ、

瞑想の中の一つの技法

ということが言えます。

 

マインドフルネスのやり方については他のHPでもたくさん紹介されているので、ここでは触れませんが、瞑想とマインドフルネスというのはそのような関係になっているということをまずは知っておいていただきたいと思います。

 

まとめ

マインドフルネスとは、瞑想の中の一つの技法

 

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坐禅とは

瞑想というのは「ある目的のためにする脳内訓練」であると書きました。

それではもし、この世の中で全ての目的を達成し、あるいは、目的などもはや必要の無いような境涯までたどり着いたとしたらどうでしょうか?

そうしたらもう瞑想は必要なくなるでしょうか?

 

瞑想はそこにもちゃんと答えがあります。

 

瞑想というものが目的のための技法を越えたとき、

瞑想そのものが目的になります。

 

つまり、なにかのために瞑想をするのではなく、

瞑想のために瞑想をするということです。

 

瞑想が目的そのものになったとき、それは、瞑想がなにかのためのプロセスになるのではなく、瞑想そのものがゴールになります。

そして、その状態の瞑想を「坐禅」と呼びます。

 

坐禅は、なにか目的を求めるものではなく、坐禅そのものが目的であり、坐禅を組んでいるその在り方そのものにこそ意味があります。

 

そして、最初に「あらゆるものが瞑想になる」ということを書いた通り、この坐禅もまた、あらゆることが坐禅となっていきます。

 

荷物を運ぶという目的を捨てたときに、トラックの運転は坐禅に変わり、夕食を作るという目的を捨てたときに料理は坐禅に変わります。

 

この辺の理屈が分かってくると、足を忘れて歩き、舌を忘れてしゃべるという坐禅の境涯の意味が分かってくるようになります。

禅には「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」という言葉がありますが、起きてから寝るまでの全ての行動が禅にならなければならないと説きます。

 

 

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まとめ

 

坐禅というのは、何年、何十年とかけて修業をして理解していくものなので、これを読んだだけでご理解いただくことは難しいと思います。

しかし、瞑想とマインドフルネスの関係については初心者の方にもご理解いただけたのではないでしょうか?

マインドフルネスは瞑想の中の一つの技法であり、坐禅というのは瞑想の行きつく最上級の場所だとご理解いただければよいと思います。

 

もちろん、瞑想の最上級だからと言って、瞑想から練習を始めなければいけないということではありません。また、どちらか一方だけを選んで行わなければならないということでもありません。

いくつかの技法を並行して学んでいかれるのは良いと思います。

ただし、誰かについて教わる時には、その方の教えを第一に優先していくことが大切です。

 

 

 

 

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