【追記あり】川崎殺傷事件について「一人で死ね!」の是非は!?

・社会問題

 

川崎の事件について、様々な論争を引き起こしていますが、

これほどまでに一般的な感情論と合理的な解釈に違いが見られることも珍しいので、

記事にしてみたいと思います。

※今回の記事は、思考というものが目線を変えることによって劇的に変化するのを体験していただけると思います。

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「一人で死ね」発言の是非

これはもともと、ソーシャルワーカーの藤田さんという方が、

「一人で死ねという非難は控えよう」

という発言をしたのに対し、

「一人で死ね! は当然の感覚だ。」

というような反論が激化して起こっている論争です。

川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい(藤田孝典) - Yahoo!ニュース
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この問題を考える前に考えてみたいこと

ところで、話は変わりますが、

犯罪者に対する刑罰というものを皆さんはどう考えますか?

例えば、自分の家族や大切な人が殺されたり傷つけられたりしたら、

その犯人には絶対に厳罰を受けて欲しいと思いますね。

もし、厳罰化を望まず、犯罪者の更生に力を入れるべきだという人がいたら、

その人はきっと、「お前は被害者の家族になったことがないから言えるんだ」と非難が殺到するはずです。

僕も、自分の大切な人が殺されたり傷つけられたとして、もしその犯人が、毎日快適に、幸せな生活を送っているとしたら、絶対に許せないと思います。

 

しかし、ノルウェーには、そんな犯罪者が快適に生活できる刑務所があります。

世界一犯罪者に甘いといわれる「ハルデン刑務所」です。

 

ここでは受刑者が窓とドアの付いた快適な個室で生活しています。部屋の中にはシャワーとトイレがついています。清潔なベッドはもちろん、テレビに冷蔵庫まで完備されています。

看守の半数は、威圧的な男性の看守ではなく女性の看守だといいます。

 

CDやDVDがそろった立派な図書館で映画を借りて観たり、他の囚人とおしゃべりしながらリラックスできる空間が設けられています。

 

1日1時間半は、体育館でバスケットボールやボルダリングなどをしながら運動をして過ごすことができます。運動のパーソナルトレーナーまでいます。

敷地内の広大な森を自由に散歩することができます。

刑務所で労働した分の時給は1時間9ドルだといいます。

 

週に一度はスーパーで自由に買い物ができ、

自分で料理をすることもできます。

 

陶芸を習ったり、楽器を習ったりすることもできるそうです。

受刑者で組んだバンドの音楽をレコーディングしたりもしているとか聞いたことがあります。

 

犯罪者を世界一甘やかしていると言われる「ハルデン刑務所」の快適な収容ライフ : らばQ
ノルウェーは世界でもっとも社会福祉や人権が進んでいる国のひとつと言われ、国連の発表する「世界一豊かな国・住みやすい国」でも1位に輝いています。そのノルウェーには、世界一人道的であるとも甘やかしているとも言われる、「ハルデン刑務所」があります。と

 

ノルウェーとアメリカの最高レベルのセキュリティ刑務所 —— 恐ろしいほどの違いが明らかに
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そんなバカなと思いませんか?!

 

自分が被害者の家族だったらと考えただけでも怒りがわいてきます。

 

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目線が変われば世界が変わる

僕は初めてこの刑務所のことを知ったとき、

衝撃的でした。

ただ、ここの所長の言葉を聞いたとき、

反論の言葉を失いました。

ただ、当時は感情的にまだまだ受け入れがたいと感じました。

しかし、時間が経つごとに、この刑務所の取り組みや考え方について納得する部分が増えてきたのも事実です。

 

所長の言葉をお借りしてみます。

「受刑者が出所して隣人になった場合、どんな隣人であってほしいか、と私たちは考えるのです。もし何年もせまいところに閉じ込められていたとしたら、出所したときに良い人間として出てくるとは思えません」

引用:https://courrier.jp/info/21960/

 

この言葉を聞いたとき、考えました。

受刑者はほとんどの場合やがて出所してきます。

その時、もしその受刑者が自分の隣人になったとしたら、

果たしてどちらがいいでしょうか。

 

性犯罪で服役していた人が、その間、まったく女性に触れあわず、抑圧されていた場合と、

刑務所の中で女性とのコミュニケーションをとりながら服役していた場合の受刑者。

隣人にならざるを得ないとしたらどちらが良いでしょうか。

 

凶器になり得るものを持たせないことで、問題を起こす人を抑圧した刑務所から出所した受刑者と、

(料理などさせて)凶器になり得るものを持たせても問題を起こさないように教育された刑務所の受刑者。

 

人とのコミュニケーションを遮断されて服役していた一般的な受刑者か、

囚人同士、時には看守も交えてコミュニケーションをとってきた受刑者。

 

罪を犯したことをひたすら反省させ、後悔させることを強いる一般的な刑務所の受刑者か、

人としての尊厳を大切にされ服役していた受刑者。

 

面会を厳しく管理されている一般的な受刑者か、

週に3回も家族などとの面会を許されてきた受刑者。

 

平均時給25セント(30円弱)で労働をさせられてきた受刑者か、

時給9ドルという一般的な金額で労働をさせられてきた受刑者。

 

あなたの隣に越してくるとしたら、

いったいどちらの刑務所をでた受刑者のほうが良いでしょうか。

 

犯人への厳罰を望んでいたはずの僕でしたが、隣人にならざるを得ないとしたら、刑務所ですべてを抑圧されてきた受刑者よりも、刑務所の中で人間関係を学び、日常生活という規律を学んできた受刑者のほうがよいと思ってしまいました…

 

この「ハルデン刑務所」は脱走する気になれば簡単にできるようですが、

だれも脱走しないといいます。

それはなぜか、ここを脱走して捕まれば、劣悪な環境の一般的な刑務所に戻されることを知っているからです。

これは、一般人が刑務所に入りたくないために罪を犯すことを控えるのと同じです。

自発的な「罪を犯さない心」を育てることにも役立っているのです。

 

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本当の被害者目線とはなにか

ここでもう一度よく考えてみてください。

本当の「被害者目線」とはなんでしょうか。

それは、現に被害にあった人のことだけでしょうか。

それとも、未来に被害を受ける可能性のある人たちも含んでのことでしょうか。

 

ハルデン刑務所のあるノルウェ―の再犯率は16%だといいます。

日本やアメリカは40%を超えています。

アメリカなんて、9年以内の再犯率80%を超えているという話も聞いたことがあります。

 

僕たちが被害者目線に立っていると思って「厳罰」を求めることが、

結果的に将来の被害者を増やしているとしたらどうでしょうか。

 

あなたが、家族を殺された被害者の気持ちになって、

厳罰を訴え、望みがかなってその人が地獄のような獄舎生活を送ったとします。

 

もし、その人が出所して、あなたの隣に越して来たら、

その人はたぶん、自分に苦しみを与えようと声をあげていたあなたを憎み、殺します。

 

極端に聞こえるかもしれませんが、

犯罪者というのはそういう気持ちが必ずあります。

 

結局、「みんな同じように俺の気持ちなんてわからず、非難しやがって」

と思うから、犯罪者にとっては、あなただって別の人だって同じ恨みの対象なんです。

 

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川崎の殺傷事件がなぜ無関係の人を殺したか

川崎の犯人のことは非難すべきことに何の疑いもありません。

ただ、自分が殺人鬼の隣人になる前に、これだけは知っておかなければなりません。

それは、犯人がなぜ無関係の人を殺したかということです。

 

それは、彼にとってはみんな同じだったからです。

みんな同じように、自分のことを理解なんてしてくれないと思ったからです。

 

「それは甘えだ」「勝手なことを言うな」という意見もあるでしょうが、

それも構いません。

ただ、運よく隣人に殺人鬼が引っ越してこないことを祈っていて下さい。

 

僕が言っているのは犯罪者目線で彼を擁護することではありません。

将来殺される可能性のある約20%超の被害者を生まないために言っていることです。

 

インターネットを見ていると、

みんな同じように、

「お前みたいなやつは一人で死ね」

の大合唱です。

 

そう言いたくなる気持ちは確かにわかります。

しかし、多くの場合きっと、そういうことを言う人は、

自分の感情に合わないことがあると、

他人を激烈に非難しているはずです。

そういう人たち、そういう世論が人を追い込み、

殺人鬼を作り上げていきます。

 

世の中には殺人鬼として生まれる人はいません。

殺人鬼となった原因があるはずです。

 

犯罪者のひとりひとりを非難するというのは、

例えば、大量にわいた蚊の一匹一匹をつぶしていくようなものです。

大切なのは、ボウフラのわく汚い水たまりを取り除くことです。

そして、その汚い水というのは、誰かの悪意です。

他人に向ける無関心、非難、怒り、嫌悪、恨み、嫉妬、そういった感情が誰かの心の澱となって心を黒く染めていきます。

 

今回の件でよく聞くのが、

「一人で死ねという非難は控えるべきというが、自分が被害者になっても同じことを言えるのか」

ということです。

 

 

しかし、これはまったく逆です。

被害者家族だからこそ、感情的に犯人を非難することが唯一許されるのです。

 

僕たちにできることは、

犯人を非難することではなく、

次の被害者を生まないように、次の殺人鬼を作らないように、

こんな時だからこそ、人に対する思いやりの気持ちを再確認しなければならないということです。

 

僕も最初に、ソーシャルワーカーの藤田さんの記事

『川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい」』

川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい(藤田孝典) - Yahoo!ニュース
川崎市で子どもや男女が刺殺、刺傷される事件が起こった。まだ状況が明らかではないが、犯人を非難する際に「死にたいなら一人で死ぬべき」という言葉は控えてほしい。

のタイトルを読んだ時、

「なにを言ってるんだ!?」と思いました。

しかし、本文を読むと、確かにと共感することがありました。

 

本当の被害者目線というのは、

「一人で死ね!」と思う気持ちをぶつけることでしょうか。

それとも、

僕たちの子供が、将来、被害に遭わないために、

隣人を殺人鬼に変えないための努力をすることでしょうか。

 

悲しい事件に、日本中がまだまだ感情的になっていると思います。

今はまだ、冷静になれというのには早いかもしれません。

やがて、少しでも心の傷が癒えたとしたら、

その時にもう一度この議論をしてみたいと思います。

 

 

 

追記

「一人で死ね!」という発言の擁護派の意見として、

 

「『一人で死ね!』というのは『人を巻き込むくらいなら』という前提がついているんだ。それを無視するから話がかみ合わないんだ!」

というような意見がありますが、その前文があっても結論は変わりません。

 

それは結局、「結果論」です。

じゃあもし、今回の事件で犯人が死んでいなくて、自殺する気もなく、ただ人を殺したかっただけだとしたらどうでしょうか?

 

「一人で死ね!」という人たちはいったいなんて言ったでしょうか?

それはきっと、「おまえなんか自殺でもしろ」です。

 

「一人で死ね」というのは結果論であって、

どうせ死ぬなら一人で死んでくれた方がよかったよね、

というのはまあ当然の話です。

 

ただそれって、ビットコインがまだ数千円の時、

「あの時ビットコインを買っておけばよかったよね」といっているのと変わりません。

無意味な結果論です。

 

「一人で死ねという発言は控えてください」という人たちは、

原因論です。

次の犠牲者を出さないために、一人で死ねというような風潮を失くそうと言っているのです。

 

「人を巻き込むくらいなら」という前提がつこうがつくまいが、

結論は変わりません。

 

そして、最後になりますが、よく考えてみてください。

あなたが死にたくなるほどの絶望の淵に立った時、

友達として隣に置きたいのはどちらでしょうか。

「迷惑をかけないように一人で死ね」という友人か、

一緒に苦しみの原因を考えてくれる友人か。

 

 

 

 

 

それにね、みんな被害者側の目線で物を言っているけど、

本当は誰でも、あっち側とは紙一重の場所に住んでるんだよ。

あなたがまだ人を殺していないのは、

あなたが理性的だからではありません。

ただ、環境に恵まれているからです。

 

 

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